「いらっしゃいませ」が言えない中国人を君ならどう教育する?イトーヨカドー中国進出ストーリー(成功編)

握手を求める中国人

今まで2回に渡ってイトーヨーカドーの中国進出ストーリーを開店準備編開店後に分けて紹介してきました。
開店前からずっと、1年以上も続く苦労。それは名誉会長が訪問した際に中国からの撤退を考えたほど。
今回は最終回で紹介するのは成功編です。

社員の態度が変わる。突然やってきた新聞記者

売上が思うように伸びず成都の1年目は12億円の赤字。
更に、ある時期、家電業界全体の値崩れが発生。
バイヤーは上司に「仕入れに失敗しました。値下げ販売をして1500万円の損がでます。」と話した。
値下げ販売をしなければもっと損が出る計算だった。
上司は「(仕入れに)チャレンジしての事だな。わかったやれ。値下げは俺の責任だ」と話した。
この時から中国人バイヤー達の意識が変わる。
今まで、良い時の手柄は自分のもの、悪い時は他人のせいにしていたバイヤーが「必ずこの失敗を取り返しましょう」と言った。
この頃からトライアンドエラーの効果も出始め、売上が伸び始めていた。

ある時、地元の新聞記者がやってきた。事件になるような事をした覚えはなかった。
事の発端はあるおばあちゃんからの投書だった。
イトーヨーカドーの女性従業員がおばあちゃんに毎日牛乳を届けているのだと言う。
1年前、そのおばあちゃんは週に1回しかお店に来れないので12本を纏めて買いたいと来店した。
女性従業員は賞味期限を気づかい「私が届けますよ」と言い、配達が1年間も続けられていた。
イトーヨーカドーでは従業員に対して「遠くの美人より近くのおばあちゃんを大事にしよう」と指導していた。
これは、買う金額が少なくても毎日来てくれる近所の人を大切にしようという意味だった。
女性従業員は文字通り”おばあちゃんを大事に”した。
結果、おばあちゃんは「人として素晴らしい行為。このような社員を養成した会社に心から感謝します」と新聞社に投書した。
取材に来た新聞記者は「こんな美談は珍しい」と興奮気味に話し、この事が新聞に掲載された。

信頼され売上増加。中国の法律をも変える。

トライアンドエラーの結果が確実に出てきていた。
それまで中国に無いもの、無い文化を取り入れたセールを数多く実施した。
中国人は夏でも冷たいものを飲まない。熱いお茶を飲む。
ある時、試しに冷たいジュース、アイスを販売した。従業員からは「絶対に売れない」と言われたが、今では冬でも売れる人気商品になった。
クリスマスの習慣が無かった中国に、クリスマス文化を広めたのもイトーヨーカドー。
大晦日はどの店も夕方閉店するのが常識(家で家族団欒するのが普通)だったが、イトーヨーカドーは営業し年越しセールを大成功させた。そしてこの事がきっかけで中国の法律が変えられた。正月の百貨店の営業が推奨されるようになった。
徐々に売上を伸ばしていくイトーヨーカドー。常にお客の事を考えたトライアンドエラーが行われていた。
中国人は性悪説の感覚を持っていて容易に他人を信用しない。逆に一度信用するとトコトン信用する面を持っている。
イトーヨーカドーは信頼され売上が急拡大していった。
人口が多い中国では売れる物は半端じゃなく売れた。布団だけで1,500万円も売れた日もある。
そして成都と北京の両店舗は日本のイトーヨーカドーのどの店舗よりも売上の高い店に成長していった。

中国で表彰される日本人。デモで攻撃されなかったイトーヨーカドー

2002年にSARSが発生。この時、中国で働く日本人はほとんどが日本に帰国した。
しかしイトーヨーカドーの日本人は帰らなかった。
「今ここで帰ったら、その後中国人はついてこなくなる。帰ってたまるか。」
SARSが猛威を奮い、他の百貨店がお店を閉める中、イトーヨーカドーは営業を続けた。店のマスクを国へ寄付もした。

2005年に発生した反日デモでは、店の1階と2階が襲われた。
翌日近所のお年寄りが「昨日は大変申し訳無かった。中国人全員がそう思っているのではなく若い人の一部だ。私はこの店が好きだ」と涙ながらに話した。
その後もデモは続いたがイトーヨーカドーは従業員が抑止に出るまでもなくお客が「イトーヨーカドーは私達に利便性を与えてくれるところだ」とデモ隊を説得していた。

2008年の5月に起こった四川地震。M7.9~8.0の直下型大地震。
倒壊家屋21万以上、損壊家屋は415万棟以上の大災害だった。
イトーヨーカドーはこの時も「物資の提供という社会責任がある」と社員を鼓舞し、唯一翌日から営業を再開した。
こうしてイトーヨーカドーは中国人にとって無くてはならない存在になっていった。
2008年12月。当時の中国総代表の三枝氏は中国全土で30人しか選ばれない「功績を上げた企業人」の最優秀者に外資系で唯一選出された。

振り返って

日本にいては到底知る由もない出来事ですが、僕は中国に来たことがキッカケとなりこの事をしりました。
イトーヨーカドーの苦労の末のサクセスストーリーにいつも勇気をもらっています。
前回も書きましたが、中国では何が起こるかわかりません。悪い意味でも、良い意味でも。
だから何かを始める時、常識的には無理だと思える事でも必ずやってみる事にしています。
その行動が思いがけない事に繋がります。

「いらっしゃいませ」が言えない中国人を君ならどう教育する?イトーヨカドー中国進出ストーリー(開店後編)

「いらっしゃいませ」が言えない中国人を君ならどう教育する?イトーヨカドー中国進出ストーリー(開店後編)3

前回は「いらっしゃいませ」が言えない中国人を君ならどう教育する?イトーヨカドー中国進出ストーリー(開店準備編)を紹介しました。
今回は「開店後編」を紹介します。
ようやくこぎつけた開店。しかし、まだまだ苦難は続くのでした。

トイレの紙、ゴミ箱、そして便器まで盗まれる

1997年11月、イトーヨーカドーの中国1号店が四川の成都にオープン。
開店前から大勢の人が集まっている。成都初の「日式百貨店」という物珍しさから、地元マスコミがTVで放送した効果もあった。
そして開店。
「いらっしゃいませ」とお客さんに挨拶している従業員を見て日本人スタッフは感激していた。
人の数が凄まじくエスカレータやエレベータの故障が発生する等、夜10時の閉店まで人が途切れず、慌ただしい1日が終わる。
日本人スタッフが驚いた事態。それは「盗み」だった。
客用のトイレからはトイレットペーパー、ペーパーホルダー、ゴミ箱、そして便器までも盗まれていた(便器を街で売る為らしい)
リップクリームが5000本も売れたと喜んでいたら、売れた数と同じ数が盗まれていた。
(それ以降、高価な売り物はガラスケースに入れて販売することになる。)
客だけではなく身内の犯行もあった。オフィスのパソコンまで盗まれた。
ある時ウイスキーの在庫をチェックすると箱が軽い。中身だけ盗まれていた。

売上目標に対して達成33%。しかし、、、

オープン初日の売上計算が午前2時にようやく終わった。
計算すると137万元(約2,200万円)目標の33%という数字だった。
「そんなバカな」と思う日本人達。
しかし、この137万元という数字はとてつもなく大きな数字である事がすぐに思い知らされる。
オープン3日を過ぎると売上は急降下し40~50万元になった。目標の10%~20だ。
日本の商品は高すぎた。
日本の服を最初は5000円で販売。売れないので3000円。それでも売れず最終的に150円にすると売れたという。
値切ってから買うのが常識の中国人はイトーヨーカドーでも値切ろうとするがイトーヨーカドーは値札以下の値段では売らなかった。
食品も大量に売れ残った。悲しいのは廃棄した食品に周辺の住民が群がり持って帰る姿を見る事だった。

トライアンドエラー。出口の見えない暗闇

毎日トライアンドエラーが繰り返される。
朝市で卵の特売をすると500人ものお客が集まった。しかしお客は卵だけを買うと帰ってしまった。
中国人に人気の商品を自由市場で10元で買ってきて、15元で売る事もやった。なりふり構っていられない状況。
日本の味「あんパン」は異常に売れた。行列を作り1元のあんパンを5個も10個も買っていく客。後日、街の露店であんパンが1.5元や2元で転売されているのを見る。
日本人は全員朝の7時~夜12時まで働いていた。
名誉会長の伊藤雅俊が視察した際「苦労しているな。撤退も考えないといけないな」と思った程だった。

オープン後も変わらず続く苦労。
本を読んでいて辛さ、苦しさがとてもリアルに伝わってきました。
こんな状況からどのようにして「最も成功した外資」と呼ばれるまでになっていくのか。
その秘密を次回紹介します。

「いらっしゃいませ」が言えない中国人を君ならどう教育する?イトーヨーカドー中国進出ストーリー(開店準備編)

「いらっしゃいませ」が言えない中国人を君ならどう教育する?イトーヨカドー中国進出ストーリー(開店準備編)

僕は上海に行くことが決まってから、中国ビジネスに関する本を何冊か読みました。
その中で一冊、強烈で圧倒された本があります。

2015年2月現在、イトーヨーカドーは北京に7店舗、四川の成都に6店舗あります。
「中国で最も成功した外資企業」と呼ばれているイトーヨーカドーですが、出店時の苦労は想像を絶する凄まじいものでした。
中国ビジネスの大変さと苦労、そして血の滲むような努力が実を結ぶサクセスストーリーは、中国で働くビジネスマンを勇気付けてくれます。
僕はこの本にとても勇気づけられ、何度も読み返しています。
上海や海外で働きたい人にぜひ読んで欲しい一冊なので、内容を抜粋して紹介します。

イトーヨーカドー中国進出ストーリー(開店準備編)

中国初出店の為1997年に10人の日本人が四川の成都に降り立った。
当時の成都の状況はと言うと
・空港のトイレですら汚くてドアが壊れている
・主要道路以外は未舗装。そこを下着同然の格好で人が歩いている
・日本料理屋は1店舗のみ、日本人は27人しかいない。

何が売れるのか?ゴミを漁る日本人

お店に並べる商品を決める為、市場調査を0から始める必要があった。
ライバル店を回って怪しまれながら写真を撮り、住民の家を訪問してリビングからトイレまで全部屋の写真を撮る。
そして、家庭から出されたのゴミ袋を漁った。スーツが汚れる、臭いが付く、恥ずかしいとか言っていられなかった。

「いらっしゃいませ」が言えない中国人

900人のスタッフを採用。
研修初日の挨拶練習にて。
指導員「みんな私に続いて声を出してください。ホワイリンクワンリン(歓迎光臨=いらっしゃいませ)」
会場はシーンとしたまま、何度やっても同じ。
中国は当時、配給制度の名残りから、売る側は「売ってやる」意識だった。「いらっしゃいませ」も「ありがとうございます」も言わないのが常識。
挨拶ができない者、嫌な者が200人以上辞めていった。
日本式を押し付ける日本人に対しての陰口や「日本に帰れ」といった貼り紙までされた。
そして日本人達は「そうだ、ここは中国だ」と気付き、押し付けではなく一緒に考えるスタイルに変更する。
「お店に行って嬉しかった事、嫌な事はどんな事があった?」と聞く。そして「挨拶されると嬉しいでしょう」と話す。
見事に「いらっしゃいませ」を言えるようになった中国人。

オープン前日、レジシステムが動かない。

日本で実績のあるレジシステム(POS)を持ってきたがうまく動かない。
元々バーコード管理するという常識が中国には、メーカーにも店舗にも無い。
バーコードの付け間違いが頻発し、靴下をスキャンするとマフラーが出る、
何日掛かってもうまくできない。オープン日が目前に迫る。
レジシステムが正常に動作しなければレジでお客が混雑し、大パニックになる事が想定された。
「なんでできないんだ、簡単なことだろう」
「必死にやっている。そっちのシステムの問題じゃないのか」
一触即発の空気。泣き出す女性社員。限界を越え「日本に帰ります」と置き手紙を残し、突然日本に帰った者もいた。
オープン前日、どうしても間に合わないと判断した担当者は上司に「オープンを遅らせるしかない」と話す。
ここで上司の言った言葉が素晴らしいです。
「レジが使えないなら電卓で計算したらいい。お釣りはお金をカゴに吊るして渡したらいい。
商売の原点は良い商品をお客様に渡して代金を受け取る事だ。レジシステムはその手段でしかない」

追い詰められていた日本人はみな冷水を浴びせられたようだった。はっと気づかされた。
安堵感いっぱいの表情でお互いを見つめ、目に涙を浮かべた。「方法は何だって良いんだ。できる。大丈夫だ。」
そして、無事にオープンを迎えた。

感想と僕の体験談

いかがでしたか?
ポイントを抜粋して紹介したので、緊迫感や臨場感は当然オリジナル本の比ではありません。

何かを始める時、簡単にはうまくいきません。
僕が2013年に上海に来てPR担当になった時、どうやれば人を集められるのか全くわからなくて、イトーヨーカドーと同じ状態でした。
そして簡単で手軽なインターネットでやろうと考えていた自分がいましたが、結果は出ませんでした。
実際に足を使って現場に行く、人に会いに行くことが大切でした。
しかし、中国語が話せない自分が中国人が集まる場所に営業に行くのはなかなか勇気が出ませんでした。
だけど、この本に勇気をもらい営業に行きました。
企業だけでなく、大学や、イベント・コンクール、資格センター等、いろんな場所に飛び込みました。
行く前は無謀に思えた訪問も、行ってみれば中国人は突然の日本人訪問者を暖かく迎えてくれました。
後から話を聞くと「中国語もできない日本人が1人で来て、勇気があるなと思った。」と話してくれました。
たくさんの仕事の付き合いがそこから始まりました。
中国では日本の常識を持っていては仕事ができません。
逆を言うと常識を壊して仕事ができるのが中国です。